ソビエト、宮廷医列伝
~そして、誰もいなくなった~
旧ソビエトの権力者・ スターリン。
(写真は、ウィキペディアより転載
スターリンは、『鋼鉄の人』を意味するペンネームで、本名ではありません。ペンネームがあまりに有名なので、スターリンで統一します。
絶大な権力を持ち、『赤い皇帝』とも称されたスターリン。彼を治療する医師は、現代の宮廷医といえるでしょう。
彼による大粛清は、現代史の中でも非常に有名です。被害者の数は、50万~2000万人、6000万人を超えるという話まであります。意見の分かれるところですが、とにかく膨大な数に上ることだけは確かです。
そんなスターリンの猜疑心はとどまるところを知らず、彼を治療する医師たちの身にも危険が迫ります。
1948年、スターリンの後継者と目されていた前最高評議会議長ジダーノフが、急性心不全で死亡します。
1952年10月、スターリンは共産党大会で『ジダーノフの死は毒殺だ』とする告発文を読み上げました。
同年11月9日、スターリンを継続的に診察していたソビエト医学界の重鎮・ヴィノグラドフ博士がイギリスのスパイとして逮捕されます。それ以降、次々と医師が逮捕されていきます。
彼らは、激しい尋問(拷問)の末に、『ジダーノフを意図的に死に追いやった』という自白を強要されてしまったのです。
翌1953年1月13日、共産党機関紙は、『医師団陰謀事件』の発覚を大きく掲載し、他のメディアも一斉にそれに追従します。当時の医師にはユダヤ人が多く、ソビエト社会はユダヤ排斥運動一色となりました。
スターリンは、反ユダヤ感情をあおり、ユダヤ人の弾圧・追放を考えていたようです。
しかし、この事件は、誰も思いもしなかった急展開を迎えます。
スターリン自身が病に倒れ、同年3月5日に死亡したのです。公表されたスターリンの死因は、脳出血でした。
捕えられていた医師たちは釈放されましたが、既に獄死した者もあり、拷問の後遺症に苦しむ者も少なからず出てしまいました。