西洋の宮廷美容術の世界
~フランス、伝説の美女・ディアーヌ~
このところ、漢方系の話が続きましたので、
気分転換に西洋系の宮廷美容術の話。
西洋の美女を語るなら、やはりこのお方!
フランスの歴史にその名を留める、西洋における美人中の美人!
フランス国王アンリ2世(1519-1559)の愛妾・ディアーヌ・ド・ポワティエ(Diane de Poitiers、西暦1499年‐1566年、以下ディアーヌ)。
19歳年下の国王の心を、国王の生涯にわたって捕えてはなさなかった女性です。西洋の美容法を語るなら、この女性は外せません。実は、西洋が誇る彼女の美容法が、現代まで伝わっています。
彼女の生涯を振り返り、美の秘訣を探ります。
(肖像画は、ウィキペディアより転載https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%AF%E3%83%81%E3%82%A8)
ディアーヌは、名門貴族の長女として生まれました。
15歳の時に、約40歳も年上のノルマンディー総督ルイ・ド・プレゼと結婚しまし、17年の夫婦生活で夫との間に2女をもうけます。
1531年に夫が亡くなると、喪服に身を包んで生活するようになりましたが、その姿があまりに美しかったために、宮廷で喪服風のファッションが流行してしまったそうです。
ここまでは、落ち着いた人生であったと言えるでしょう。
彼女の人生が大きく変わるのは、フランス国王の愛妾となってからです。
(肖像画は、ウィキペディアより転載https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA2%E4%B8%96_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%8E%8B))
フランス王アンリ2世(Henri II de France, 1519年‐1559年)は、母を早くに亡くしました。
スペインでの人質生活を送るなど、あまり順風満帆とは言い難い生い立ちでした。
幼いアンリが人質として兄と共にスペインに連行される際、その額に接吻したのがディアーヌでした。この時、幼いアンリ少年はディアーヌの優しさに心うたれ、その心にディアーヌのことが深く刻み込まれたとされます。
人質時代を過ごし、1531年にフランスに帰国したアンリとその兄は、パリで騎馬試合に臨みます。
当時の風習では、試合に先立って、意中の女性の前で手にした軍旗を振り下ろして勝利を誓うのですが、アンリはディアーヌにそれを捧げました。その頃の彼女は浮いた噂ひとつない貞淑な人妻でしたが、その年の夏にディアーヌの夫が急死し、運命が大きく変わります。
細かい経過は伝わっていませんが、ディアーヌはアンリ2世の愛を受け入れ、国王の愛妾となります。
ディアーヌは宮廷においても絶大な影響力を持ち、多くの芸術家が彼女をモデルにした作品を作りました。
また、彼女は知性にも恵まれ、国王の政治的な相談相手でもあったそうです。
20歳近くも年上であったにもかかわらず、ディアーヌの外見は若いみずみずしさを保ち続けいました。なんと、国王と同い年にしか見えなかった(!)そうです。
結論から先に申しますと、ディアーヌの最晩年、66歳の時でも面会に訪れた作家を嘆息させるほどの美しさを保ち続けていたそうです。
なんだか、人間離れしてきた感じがありますが……、
ってか、人外でしょう、これはもう!
愛妾というからには、アンリ2世には正妻もいるわけで、仲睦まじい二人の様子を正妻がどの様な目で見ていたのでしょうか?
アンリ2世とディアーヌの愛の日々には、突然の悲劇で終わりを告げます。
最愛の人であり後ろ盾でもあった国王を亡くしたディアーヌ、その運命やいかに!?
長くなりそうなので、次に続きます。